
さて、昨日7月16日で古原鍼灸院は開院4周年を迎えました。
当院をご利用してくださる皆さん、応援してくださる皆さんのおかげで、こうしてまた一年を積み重ねることができました。
いつも本当に、ありがとうございます。
昨年は3周年でお礼のご挨拶動画を撮ったのですが、今年はどうしよかと悩み、少し文章を書いてみることにしました。
もしお時間がありましたらお付き合いください。
僕が鍼灸師としてどうありたいのか
古原鍼灸院がどんな場所であってほしいのか
もしかしたら過去にも同じようなことを言っているかもしれませんし、前と言っていることが変わっているかもしれません。
が、今の僕が思っていることを書きます。
−−−
古原鍼灸院は
皆さんが何かに行き詰まった時
モヤモヤした気持ちを吐き出したい時
誰かにそっと手を添えてほしい時
そんな時に
思い出してもらえる場所でありたいと願っています。
鍼灸院やその他のいわゆる“施術”を提供する場所を訪れる人の、心の奥には、ただ痛み・症状を改善したい、凝りをほぐしたいという目的の前に、何かもっと潜在的に求めているものがあるのではないか、と感じることが多々あります。
当院に来られた方からは時々?よく?こんな声を聞きます。
「病院に行っても先生はパソコンの画面ばっかり見ていて体を触ることもない」
「病院に行っても痛み止めを出されて終わるだけだから…」
その気持ちはとてもよく分かります。
でも同時に、仕方ないよなぁ、とも思うのです。
なぜなら、現代の病院(=いわゆる西洋医学)は、『病気という“結果”を解決すること』が目的だからです。
お医者さんは、1日に何十人、時には100人近くの患者さんを診なければなりません。
限られた時間の中で、検査データを見て、命に関わる大きな病気がないかを瞬時に判断する。それがお医者さんの仕事です。
ですから、一人ひとりとゆっくり話す時間を作るのは現実的に難しく、検査をして“病名”がつかなければ、治療の方針も立てづらいという背景があります。決してお医者さんが冷たいのではなく、現代医療の仕組み上、仕方のない部分でもあるのです。
僕たち鍼灸師は、病院やお医者さんのような精密な検査はできません。その代わりにできることがあります。
それは、『決められた時間をしっかり使って、皆さんの声に耳を傾け、お身体に寄り添うこと』
東洋医学では、病名がつかない段階の不調を“未病(みびょう)”と呼び、そのケアを考えます。
たとえ病院で「異常なし」と言われたとしても、皆さん自身が感じている痛みや不調は、確かにそこに存在しています。
鍼灸は、そうした“名前のない不調”に対しても、体に直接触れ、アプローチしていくことが可能なのです。
こういった西洋医学と東洋医学の在り方の違いを理解していただくと、病院に行ってモヤモヤした経験のある皆さんの気持ちも少し変わってくるのではないでしょうか。
その上で、冒頭で述べた『痛み・症状の改善という目的の前に、潜在的に求めていること』ですが、
僕自身、何かものすごく疲れた時、精神的に落ち込むようなことがあった時、誰かに触れてほしいと思うことが時々あります。
もちろん自分で鍼灸やマッサージをしたり、自分なりの気分転換もするのですが、そうではなく、”誰かに”寄り添ってほしいことがあるのです。
もしかしたら、当院を訪れてくださる皆さんの中にも、同じように感じている方がいらっしゃるのではないでしょうか。
「ただ触れてもらうだけで、なぜか救われる」
そんな経験は、決して特別なことではありません。
身体が悲鳴を上げている時、私たちの心は、痛みを消すことと同じくらい、それ以上に、「誰かが寄り添ってくれている」という安心感を求めているのかもしれない。僕はそう思っています。
痛みや症状を改善するのは、僕たち施術者が大前提として提供しなければならない技術。
その一歩先で、古原鍼灸院は『皆さんが深呼吸できる止まり木のような場所』でいられることを願っています。
頑張りすぎて、心が少し迷子になってしまった時、誰かにそっと手を添えてほしいと思った時は、どうぞ、この場所を思い出してください。
−−−
今の僕の正直な想いを書いたつもりです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
古原鍼灸院は5年目に突入しましたが、これからも、ここに綴った文章に恥じぬよう、嘘をつくことがないよう、謙虚に誠実に日々精進していきます。
皆さんいつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
